奥の山を越えて行けば、ジャングルが始まり、いずれアマゾンへとつながる。乾季が終わる9月は、日差しこそ強いものの、重さを感じる水蒸気の塊が山の上に覆いかぶさっている。ここはマチュピチュ。海抜約2490メートルのアンデスとジャングルの境界にあり、ケチュア語で「古い峰」と呼ばれるインカ時代の遺跡である。
いまでも建築時代の背景やその目的については明らかではない。その名は、この遺跡を考古学上の見地から初めて発表したエール大学のハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)が1911年現地の人から教えてもらったという名称が遺跡の名になっている。
ハイラム・ビンガムが発表するより以前、1902年にクスコのアグスティン・リサラーガ(Agustin Lizarraga)がこの遺跡に到達しており、さらにその存在は16世紀の古文書に記されていたという。
急峻な崖にある段々畑の下を流れるウルバンバ川
遺跡は農地と市街地、宗教施設によって形作られ、いまでも急峻な斜面には石組みされた段々畑が残っている。この地に街を作った目的は、ジャングルとの交易(主にコカや鳥の羽など)の中心地であり、帝都クスコへの中間拠点であったという説がある。しかしウルバンバ川を見下ろす急峻な山上に立つと、当時のハイウェイである”インカ道”によって北方の各都市と帝都クスコを結ぶ中間地点として、交易の拠点でありながらも、軍事上のまたは防衛上の拠点やインカ帝国支配の前線と考えたほうが受け入れやすく感じられる。
遺跡内の通路は狭く、上下左右へと折れ曲がり、とてもわかりにくい。”インカ・ステップ”と呼ばれる石垣に埋め込まれ突き出た石の階段や狭く急な階段状の通路は、物を手にしては通りにくいうえ、多人数が同時に攻め込みにくい作りになっている。実際にインカ・ステップを上り下りしてみると、片足ずつしかおけないことがわかる。山頂近くの土地は狭く、そういった構造とならざるを得ないのかもしれないが、都市防衛の狙いを感じる。
アンデス一帯を支配したインカ帝国も、ジャングルにまではその支配が及ばず、しばしばジャングルの住民とは争いがあったと言われる。マチュピチュは、その防衛的な構造と立地から、都市間交通や交易、防衛に配慮した当時の最新都市建築ではなかったのだろうか。