マチュピチュでは、さまざまな石の構造物や細工を見ることができる。インカの人の信仰に関わる構造物や日常生活に密着した道具など、見ていて飽きることはない。インカの遺跡では、剃刀の刃1枚すら差し挟むことができない築石の技術をもって、しばしば語られる。確かにこの築石の技術も素晴らしい。しかし、私は曲面の美しさを見たときにこそ、インカの職人たちの技術と芸術性の素晴らしさを強く感じる。マチュピチュに限らず、インカの建築や石細工の曲線、曲面に注目すると今までにない新たな発見が得られるだろう。
- 見張り小屋
RECINTO DE GUARDIAN 段々畑の斜面の一番上に建てられた小屋。山の稜線にあるインカ道を下りて来る不審者を監視していたとも、ここから見下ろす段々畑で働く人々を監視していたともいわれている。屋根葺きは当時の形に復元されている。 この屋根は、イチュと呼ばれる植物を使って葺いており、建物上部の尖った石組み部分には丸い円柱形の石が出っ張っている。この石と屋根が竜舌蘭のつるでしっかり結ばれており、当時の建築方法も理解できる。
- 段々畑
メディアでみるマチュピチュは、どれも同じアングルのものばかり。この写真は、マチュピチュの手前、マチュピチュの入り口近くの斜面を写している。 幅広く、急傾斜をうまく活用した農耕地で、ジャガイモやトウモロコシなどを栽培していたのだろうか。ここでは高い段と低い段とで栽培する作物を変えていたようだと、ベラスコが言っていた。いまでは丈の短い草が生えるだけだが、この草を求めてリャマやアルパカが歩き回っている。
- 市街地への門
PUERTA DE ACCESO A LA CIUDAD 段々畑がある農地と市街を隔てる門だ。ここを通るとマチュピチュ遺跡の市街部分に入る。門の内側左右には、写真のような四角い穴と上部には突き出て穴の開けられた石が見える。ここに丸太を束ねた扉をぶら下げ、左右の穴に縄などを通して施錠していたのだろうか。
- 蝶番
マチュピチュで見る石材加工のうち、驚くもののひとつに、このような蝶番と思われる細工である。石を削りだして穴の開いた部分を作る。ここに丸太などを挿して、扉の支えなどにしていたようだ。
- 驚くべき石の細工
マチュピチュで最も驚いた石の細工のひとつ。 外部からの出入り口のすぐ脇の内側にある、壁の窪みに上下の石と繋がった円柱が細工されている。この円柱の表面は縄などで擦れたのだろう、滑らかになっている。出入り口内側の左右の同じ高さに2つあることから、扉の開け閉め、または扉の施錠に使われていたと思われる。
- 太陽の神殿 または 大塔
TEMPLO DEL SOL 案内してくれたべラスコによれば、「太陽の神殿」という名称だが、博物館の資料(ペルー文化庁発行)などを読むとTorreon(塔または楼)と資料に書いている。 石組みであるにもかかわらず、壁面のカーブが美しい。天体観測をしたとも、神殿として祭儀を執り行ったともいわれている。この円形の遺跡には2つの窓があり、冬至と夏至に、ここから差し込む太陽の光で儀式をしたという説もある。 いずれにせよ、ここが何のための施設であるのか、わからないままのほうが空想が広がって楽しいかもしれない。
- 石切り場
太陽の神殿の奥(北側)には、建築に使った石の石切り場がある。ここには、切り出して整形途中の岩や職人見習い職人が練習した、少し不恰好な石も残っていて面白い。
- 石切の跡
石切り場には、石の割り方が想像できるものも残っている。一列に楔を打ち込んで少しずつ石を割っていく様子が見てとれる。はたして、どんな道具を使っていたのだろうか。
- ピューマの足跡
ピューマの足跡と呼ばれる石の細工。当時の職人が意図して作ったのか不明だが、見習い職人の手による練習の結果ではないか・・・というのがベラスコの弁。
- インカのトイレ
BANO DE INCA 王様が寝泊りしていたという部屋から横の通路へ入ると、排水溝の穴のようなものが登場する。ここをインカのトイレと呼んでいますが、ほかの構造物と同じようにいるわかっていないようだ。トイレの壁の後ろは水汲み場だったり、畑だったり・・・謎だ。
- 石臼の部屋
小屋の内部に中央に丸い石がふたつありますが、その用途・目的ははっきりしてない。ハイラム・ビンガムのガイドを務めた少年が、この石を使って食事の準備をしたことから、石臼と呼ばれるようになったといわれている。 この近くで青銅器や土器が多く発見されていることから、このエリアは職人の居 住区であったと考えられている。
- 広場
PLAZA MAYOR インティワタナから急な階段を下がると、大きな芝生の広場に出る。一見して町の中央広場だったであろう事がうかがえる。当時、この広場ではマチュピチュの住民が集まって祭りしたり、遊んだりしたのかもしれないを。また広場の周囲には1m強の段差がある。この段差には何があったのだろう。 どんな場所よりも、ここで何が行われていたのかを想像させる場所だ。祭りや談笑、踊りの様子を連想してしまう。(後ろに見える山はワイナピチュ)
- 屋根の骨組み
ワイナピチュ近くに、屋根を復元した大きな建物があった。 ここを訪れる人は、この屋根の下で強い日差しを避けて休んでいる。細い木材で組まれている。
- まな板?
オリャンタイタンボという場所にある遺跡に向かう途中、農家の台所で見たまな板に似た石板を見つけた。平らな石板の中央部分が緩やかに窪んでおり、丸い石でトウモロコシなどを磨り潰し、粉にする。 マチュピチュでは、こんな生活用具まで無造作に転がっている。地元の人から見れば、普段使っているものと同じ道具がそこにあるだけで、歴史的・文化的価値は高く見られないのかもしれない。そう考えると、ここでの暮らしはいまだにインカから繋がっているのだ。
- 何の石板だろう?
何の石板だろう?あちこちの部屋で見かけた石板で大小さまざまなサイズを見かけた。