消えてゆく地上絵

 「Lines and Geoglyphs of Nasca and Pampas de Jumana」(ナスカとフマナ平原の地上絵)として、ユネスコへ世界遺産として登録されている。ナスカ研究の第一人者であるドイツ人数学者マリア・ライヒェ女史の手記では「The Line」と呼ばれている。
 地上絵を描いたであろう紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化時代の人々は、その地上絵の全容を目にすることができたのだろうか。

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 現在の地上絵は、その一帯への自動車の乗り入れなどが原因となって、絵の一部に切り裂かれた跡ができ、破壊され消えつつある。また現代の人々によるイタズラとして”新たな地上絵”が描かれている。パルパなどでも新たな地上絵が見つかっているが、100年後経っても、この地上絵が残り続けることを願うばかりだ。

地上絵まめ知識

 地上絵は、ペルー南海岸地方の丘陵と東側のアンデス山脈との間にある乾燥した盆地にある。地表は朝露に濡れ固められて風による表面の浸食を防ぎ、雨も殆ど降らない気候環境から雨による浸食もほとんどない。この気候が地上絵を今に残し続けている。こうした乾燥した赤褐色の地表から岩を数十センチ程度取り除き、白色系の岩石を露出させることで描かれている。ところによっては地上絵の線を囲むように赤褐色の岩を積み上げているものもある。

 地上絵は地面に立っていても、見分けが付かない。このように大きな絵をどのように描いたのか。現在考えられている方法は地上絵の原画を描き、その中心から放射線を引いて各点を相似拡大させる描き方と推定されている。現地でも原画や相似拡大させた際の使ったと推定される杭も見つかっている。手間隙かけて大きな地上絵を書いた目的は何だろう。暦と関係があるという説、雨乞いの儀式に関係があるという説などさまざま。

地上絵を見るために、アエロコンドル航空の観光ツアーを利用した。ペルーの首都リマからアエロコンドル航空の旧ソ連製アントノフ(まったくオンボロ)でナスカまで向かい、そこから観光用セスナ(こちらのほうが立派)でナスカ上空を飛ぶ。左右の席の客に同じように地上絵尾を見る機会を提供するため、かなりアクロバティックなフライトになる。

 

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