Kokio keo keo

Kokiokeokeo

 ハワイ固有種のハイビスカス「コキオケオケオ」(Hibiscus arnottianus)です。

 ハワイ語でコキオは「ハイビスカス」で、ケオは「白」を意味します。ハワイにはハイビスカスの外来種がたくさんありますが、このコキオケオケオはハワイの中でもオアフ島にしか生育していません。この写真はMANOAの北側、KalawahineTrailで写しました。ハワイにはこの写真のオアフ固有種のほか、カウアイ固有種、モロカイ固有種があるようです。

 ハイビスカスの仲間はアオイ科フヨウ属ですが、まさにフヨウの花に似ています。またハイビスカスの多くは香りを感じることはありませんが、コキオケオケオには清々しい香りがあります。コキオケオケオの花を耳元に挿しているハワイの女性が優しい表情をするのは、コキオケオケオの香りの効果もあるかもしれません。

(近藤純夫さんの「ハワイアン・ガーデン」などを観て、勉強してます)

Stay hungry, stay foolish.

2010年5月28日 日本でiPadが発売になりました。

マスコミ報道や夜を徹して並ぶ姿に関心はないですが、アップル社のマーケティングの上手さなのか、何も予備知識がなかった私も気になる。(正直欲しい!)
私は、その製品が斬新であればあるほど、その製品以上にそれらを世に送り出した人たちの苦労や工夫、熱意や失敗といった人間系の要素に強い関心があります。

今回のiPad発売のニュースを見ながら、アップル社のCEO スティーブ・ジョブズ氏のスピーチを思い出しました。

ジョブズ氏に対する印象は、過激な言動、仕事仲間や部下への厳しい姿勢、アップル社の創業者でありながら会社を追われ、のちにアップル社のCEOに復帰し、Mac、iPod、iPhoneといった斬新で革命的な製品を世に出したカリスマ。
(「現実歪曲空間」(Reality Distortion Field) という揶揄もあるけど・・)
また、これまでコピー天国だった音楽コンテンツ分野で、対価を伴って取引する基盤(iTune Store)をつくりあげたビジネス・リーダーという印象もありました。

2005年当時、私はまだ過激な面ばかりが強調された人物と感じていました。しかしジョブズ氏自身の生い立ちやこれまでの生き方といった個人的なことにも言及するスピーチを聞いて、私は感銘を受けたと同時に私が抱いていたジョブズ氏の人物像も変わったことを覚えています。
その内容が聞いているスタンフォードの学生に理解できたのかどうかはわかりませんが、誰よりも多忙なジョブズ氏がこれほどのスピーチをしたことにも感銘を受けました。
久しぶりにyoutubeで検索したら、和訳付きの映像を見つけたのでご紹介します。関心と時間がある方は、一度ご覧ください。(トータルで10分位)
きっとたくさんのことを感じられると信じます。

2005年6月12日 スタンフォード大学 卒業式
■part1

■part2

  もしyoutubeが見られないときは、こちらをどうぞ。

Stay hungry, stay foolish.

タコノマクラ

タコノマクラ(表)タコノマクラ

 三浦半島の西側、三戸浜でタコノマクラを数多く見つけた。三戸浜は砂地の海底で、さまざまな種類の海の生物が打ち上げされ、漂着する。タカラガイの種類も豊富だ。
 タコノマクラは棘皮動物でウニの仲間で直径約10センチメートルほど。(タコノマクラ目タコノマクラ亜目タコノマクラ科)
 表面は短い棘に覆われ、花びらのような模様がある。生きているものは薄い赤色だが、死んだり傷が付くと写真のように緑色に変色する。普段は海底の砂地に生息し、海草などを身に纏っている。動きは極めてのんびり。
 よく見ると一つの花びらだけ前端が開いている。花びらの中心部分に5つの生殖孔がある。腹面の中央が口、その端に肛門。口の部分にむかって5つの食溝が走っている。

タコノマクラ(表裏)タコノマクラの外骨格
 左が表、右が裏。 そしてタコノマクラの外骨格

 タコノマクラの仲間にスカシカシパンとかオニブンブクなどがおり、コレクションしたい衝動に駆られる。しかし保存にはタコノマクラの外骨格を漂白する必要がある。入れ歯洗浄剤などで漂白するとときれいな真っ白になるが、漂白の手を抜くと臭くて臭くて堪らないので要注意!

 ところでタコノマクラの仲間の、スカシカシパン。タレントの中川祥子が「ギザカワユス」とブログで紹介したスカシカシパン。その結果、スカシカシパンは全国区の知名度になった。その後、スカシカシパンマンをプロデュースしているほど。

 タコノマクラも紹介してほしいものだ。

イカの甲

 海辺を歩いていると、漂着した白い楕円状のものを見かける。イカの「甲」だ。烏賊骨(うぞっこつ)などとも呼ばれ、英語ではカトルボーン(cuttlebone)という。ちなみに英語では、甲のあるコウイカの仲間をcuttlefishといい、その他のイカをsquidと呼び分ける。
 
コウイカの「甲」(A面)コウイカの「甲」(B面)
  コウイカの「甲」(A面とB面)

 イカは大きくグループ分けすると、コウイカ目、ダンゴイカ目、ツツイカ目の三つに分類される。このなかでもコウイカはウレタンフォームのような「甲」を体の中にもち、浮力を得ている。甲の表面は柔らかく爪で擦ると傷が付く。(生きている状態での甲も同じだろうか?いずれ機会があれば、コブシメを手に入れて確認してみたい。

表面を爪で引っかいてみる甲の断面
  表面を爪で引っかいてみると傷が付く。断面はミルフィーユ状だ。

 この甲を割ってみると、その断面は幾層にも重なった洋菓子の”ミルフィーユ”のようになっている。甲の材質は炭酸カルシウムで構成された気泡を含む構造のため、軽く浮力を得やすい。
 そもそも「甲」は、貝殻の痕跡器官であり、主として炭酸カルシウムから構成されている。もともとは巻貝状、あるいはツノガイ状の形であったと考えられ、今では巻貝状の甲をもつイカはトグロコウイカのみである。トグロコウイカの巻貝にあたる部分は気室があるが、コウイカにはそのような気室は残っておらず、それに当たる部分は現在の骨の端っこ(尖がっている部分)が巻貝部分の名残といわれて、コウイカの甲の大半は新たに”浮き”として発達したものと考えられている。
 
 生きていく環境に応じて適応していく生物の進化は、本当に興味深いものばかりだ。
 
イカの分類
続きを読む

RAM’S HORN SHELL

RAM’S HORN SHELL
 
 「ヒツジノツノガイ」(羊の角貝)
 もし、日本近海に生息していたならば、こんな和名を与えられたかもしれない。
 巻貝のように見えるが、RAM’S HORN SHELLは貝類ではない。「トグロコウイカ」というイカの貝殻である。

 そもそも貝殻とは、貝(軟体動物や腕足動物など)が外套膜の外面に分泌して作る硬い組織のこと。一般にはハマグリやサザエのような貝類の外殻だけを思い浮かべるが、さにあらず。貝類はもちろん、イカやタコのような頭足類にも貝殻はある。
 イカの場合、体の中に空室が発達してできた貝殻をもち、浮き袋の役割を果たして中性浮力を実現して遊泳を助けている。同じ軟体動物でも進化の途上で貝殻が小さくなったり、ナメクジやウミウシのように貝殻を失った軟体動物も多い。

 このトグロコウイカは体長(外套長)は3cmから4cm程度。イカとしては小さい種類で、カリブ海や太西洋、インド洋、ニュージーランド近海など熱帯水域の200?700m位の中層に浮遊している。巻貝のような形の多室性の貝殻をもっているので、垂直になって浮遊している。この貝殻があるのは、いわゆる”頭側”。つまり足とは反対側に備わっており、外套に透けて見える。
 
甲は直径15ミリ程度
 
 本体は、ニュージーランドの海辺に打ちあがったものを知人に拾ってきてもらった。私自身はトグロコウイカそのものをまだ見たことがないが、いつか熱帯の海で見てみたいものだ。

続きを読む

プカ・プカラ、タンボ・マチャイ

タンボ・マチャイ見学の小学生

 「赤い要塞」(プカ・プカラ)と呼ばれるインカの要塞跡。タンボ・マチャイに近く、クスコへの出入りするものを見張ったとも言われている。一方、タンボ・マチャイは沐浴場跡。タンボ・マチャイには季節を問わず、一定の水が流れる「聖なる泉」がある。その水源を探るべく、近隣の川や池の調査をしたが、この水の水源は未だにわかっていない。水の湧き出る場所の後ろはそれほど高くない丘だ。

サクサイワマン遺跡

3層の要塞

 サクサイワマン遺跡はクスコの北西にある要塞跡。巨石を3層に積み上げて作られた堅牢な造りだ。それぞれの石には「臍(ほぞ)」を施して、ぴたりと積み上げる細工がされている。完成までには80年かかったと言われているが、実際の規模を目にすると納得できる。
 毎年6月24日にサクサイワマンで「インティ・ライミ」(太陽の祭り)が行われ、インカの儀式が往時のままに復活し、生贄も捧げられる。

聖なる谷

ピサックの市場

 クスコから東へ30キロメートルほど行くと、ウルバンバ川が流れている。ここは6000メートル級の山々に囲まれた「インカの聖なる谷」(Valle Sagrado de Los Incas)と呼ばれるウルバンバの谷だ。ここへ行く山中の山肌には、ペルー地震の断層による地割れが幾本も並んでいる姿を見ることができる。

 途中市場や遺跡で名の知れたピサックを通ってウルバンバの谷を北へ進むとオリャンタイタンボだ。オリャンタイタンボ遺跡には、6つの巨石を組み合わせた不思議な建造物が残っている。高さ4メートル、幅10メートル、奥行きは1メートルほどの岩壁のような建造物は周囲に切り出した石があることから、建造途中とも言われている。この巨石は谷の反対側の山で切り出された石だということがわかっている。これほどの大きさの石を、いったいどうやってこの山の上に上げたのだろう。不思議なことばかりだ。
 さらに遺跡の上から谷を振り返れば、ウルバンバ川を挟んだ岩肌の高みに見張り小屋が岩肌に張り付くようにして作られているのが見える。またオリャンタイタンボの町には、インカ時代の灌漑用水や下水道の施設が残り、今も使われ続けている。「旅籠」を意味するケチュア語の「オリャンタイタンボ」はその名に相応しく交通の要所であり、アマゾンとマチュピチュへの分岐点でもある。

MATE DE COCA

MATE DE COCA  レストランでもMATE DE COCA

 アンデスなど高地へ旅行する場合、高山病になってしまうことがある。脳が膨れ、頭痛と気分の悪さを感じる高山病は、症状が悪くなれば幻覚幻聴もあるという。せっかくの旅なのに高山病になっては楽しくない。ペルーへの旅では、高山病に効くと言われるコカ茶(MATE DE COCA)を四六時中、飲んでいた。

 コカの葉にはさまざまな効能があり、アンデスの先住民たちは神への捧げもの、儀式の道具、鎮痛剤などとして利用してきた。その利用の仕方は、天日に干した葉を灰(石灰)とともに口に含み、噛みタバコと同じように噛んだり、お茶にして飲んでいる。
 現在も日常的にお茶として砂糖を入れたお茶として飲まれ、高山病にかかった旅行者は頭痛や吐き気を和らげた。

機内でもMATE DE COCA  国内線の機内でもMATE DE COCA

 コカの葉は、ビタミンや鉄分、カルシウムを含みもちろん中毒性などない。しかし一方では、この葉を粉状にして石灰水や灯油、硫酸などを使って化学的に精製すると、白い粉のコカインとなる。コカインが強い中毒性をもつ薬物であることは誰でも知っている。また世界中のほとんどの国ではコカインの所持や使用は犯罪だ。(コカインの使用は、そのほとんどがアメリカをトップとする先進国だといわれている)
 アンデスの先住民にとって神の葉とも言えるコカが悪魔の粉となってしまうことが、とても残念でならない。ペルーでみたコカは神聖な植物として利用され、人々に親しまれている。もちろん麻薬とはまったく無縁のものだ。(コカの葉は国外へ持ち出すことはできない)

チチカカ湖、ウロス島

チチカカ湖は広い!チチカカ湖は広い!

 チチカカ湖とそこに浮かぶ浮島(ウロス島)を見にやってきた。

 チチカカ湖は、海抜3810メートルにあり、湖水面積は琵琶湖の約12倍。実感できない広さだ。ペルーとボリビアの領土にまたがり、その湖面の60%がペルー領である。チチカカ湖の島々やその周辺には、ケチュア族やアイマラ族、ウル族といった先住民系の民族が居住して農耕や漁業、観光に携わる一方で、沿岸の都市部で働くことも増えたという。
 浮島に暮らすのはウル族と呼ばれる人々だ。インカ時代に賎民として追われて浮島に暮らすようになったとも言われている。現在純粋なウル族はおらず、ケチュア族やアイマラ族との混血の人々が暮らしている。ウル族は自らを「ウロウロ」と呼ぶことから、ウル族と呼ばれるとともに、彼らが暮らす浮島をウロス島という。ウロス島はいくつもの浮島の総称である。

 ウロス島は「トトラ」と呼ばれる葦でできた浮島で、そこに700人ほどの島民が生活している。島自体は、湖面に顔を出すようにして生えているトトラを刈り取り、それをブロックのようにして束ねたものを湖に浮かせ、さらにその上に敷き藁のようにしてトトラを敷き詰める、といった方法で作られており、浮材として使っているトトラが腐ってきたときは、さらに上から新しいトトラを補充する。 

 ちなみにチチカカ湖には、チリとの戦争で海を失い、内陸国となったボリビアの海軍基地がある。

チチャ (Chicha)

 チチャはトウモロコシを原料とする酒。
 ペルー特に農村では朝昼晩問わず日常的に飲まれており、酔っ払うほどアルコール度は高くない。低アルコールのビール風飲み物だ。チチャは各家庭で作られ、その風味や旨さはその家ごとに違うという。地域によっては、キヌアというアカザ科の植物やマニオク(キャッサバ)などのイモ類を用い、アマゾンではパイナップルを原料にしているチチャもある。

芽の出たとうもろこしとチチャ甕で発酵させる
 
 チチャは、発芽したトウモロコシを天日で干し、石臼で潰してから粉末にする。これを煮たのち、発酵させる。発酵を始めたチチャは、1日目から飲めるようになり、3日目までが旨いと言う。飲み頃はお好みだが、7日もすれば舌を刺すほど酸っぱくなるという。どの家庭でもほぼ毎日チチャを作る。これは毎日飲みきってしまうこともあるだろうが、発酵が進んでしまい、飲み頃が短いことがその理由だろう。
 その昔、チチャは唾液で発酵させて作っていた。インカの時代、チチャは「アクヤクーナ(太陽の乙女たち)」と呼ばれる聖少女(処女の女性)が「処女の館」で噛み砕くトウモロコシを使って作られ、王が太陽神に捧げたのち、自らが飲むといった宗教儀礼があったという。
 現代でもチチャの飲み方には、ちょっとした作法がある。最初に太陽の神へ杯を捧げ、続いて土の神へ数滴のチチャを捧げ、その後に飲むというもの。チチャがインカの時代から宗教儀礼に用いられていたことを感じさせる作法だ。
 
農家のお母さん、チチャ作りの名人チチャをご馳走になった農家のお母さん
 
 チチャをご馳走になった家のお母さんは、チチャ作りの名人として賞を受けたことがある。そのときの新聞の切抜きが台所の壁に貼ってあった。
 
納屋にはモルモットが・・・
 
このお母さんの家の小屋にはクイ(モルモット)がたくさんか飼われていた。これは食用に飼われており、丸焼きなどにしてご馳走料理にする。クスコのカテドラルに描かれた”最後の晩餐”では、そのテーブルの上にはクイが供されており、キリストと12使徒もクイを食べたことになっている。

 ビールも最後の晩餐も、所変われば・・・・である。

【参考】
 チチャモラーダとは・・・
続きを読む

消えてゆく地上絵

 「Lines and Geoglyphs of Nasca and Pampas de Jumana」(ナスカとフマナ平原の地上絵)として、ユネスコへ世界遺産として登録されている。ナスカ研究の第一人者であるドイツ人数学者マリア・ライヒェ女史の手記では「The Line」と呼ばれている。
 地上絵を描いたであろう紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化時代の人々は、その地上絵の全容を目にすることができたのだろうか。

宇宙飛行士? 宇宙人と呼ぶほうが相応しい宇宙飛行士? 宇宙人と呼ぶほうが相応しい

 現在の地上絵は、その一帯への自動車の乗り入れなどが原因となって、絵の一部に切り裂かれた跡ができ、破壊され消えつつある。また現代の人々によるイタズラとして”新たな地上絵”が描かれている。パルパなどでも新たな地上絵が見つかっているが、100年後経っても、この地上絵が残り続けることを願うばかりだ。

地上絵まめ知識
続きを読む

インカ・エクスプレス

標高4335mLA RAYA 標高4335m 13:20PM

 クスコから、ボリビア国境に近い南部の街プーノまで行く。プーノはチチカカ湖に面した南部最大の街だ。クスコからは飛行機、列車、バスの交通機関があるが、最も時間がかかり、最も安いバスでの移動を選んだ。長距離バスでの移動は、途中のルックアウトポイントにも立ち寄り、ランチやスペイン語・英語のガイド(英語はカタコト)が付いて35ドル。そのうえバスは、トイレ・エアコン完備!そうだと知れば、逃す手はない。早速現地のNishikawaTravelで手配。NishikawaTravelは日本人経営の現地旅行会社。今回はあれこれと助けていただいた。

途中の立ち寄りポイントは、遺跡、教会、博物館、4300mを超えるポイントなど多彩。コースなどについて詳しくは、InkaExpressの案内NishikawaTravelの案内が役に立つ。

マチュピチュの動植物

インカ道を歩くアルパカインカ道を歩くアルパカ
 マチュピチュでは突然出会う。草を食みながらボチボチとやってくる。片側が切れ落ちているインカ道でアルパカやリャマに出会うとかなり怖い。相手は人に慣れているかもしれないが、こちらは想像力が豊かであることを恨みながら、身の処し方を思案する。無事すれ違ったあと、安堵と笑いがこみ上げる。

リャマやアルパカがあちこちにいるリャマやアルパカがあちこちにいる
 奈良公園の鹿ほどではないが、マチュピチュではリャマやアルパカを良く見かける。階段や坂道をうまいこと歩いている。のんびりしているようだが、案外移動のスピードは速いので、いきなりギョっとするほど近くに来てたりする。

マチュピチュに行ってみた(#3)

太陽の神殿 または 大塔太陽の神殿 または 大塔

マチュピチュでは、さまざまな石の構造物や細工を見ることができる。インカの人の信仰に関わる構造物や日常生活に密着した道具など、見ていて飽きることはない。インカの遺跡では、剃刀の刃1枚すら差し挟むことができない築石の技術をもって、しばしば語られる。確かにこの築石の技術も素晴らしい。しかし、私は曲面の美しさを見たときにこそ、インカの職人たちの技術と芸術性の素晴らしさを強く感じる。マチュピチュに限らず、インカの建築や石細工の曲線、曲面に注目すると今までにない新たな発見が得られるだろう。

マチュピチュに行ってみた(#2)

インティワタナインティワタナ (日時計と呼ばれているが、癒しのパワーも・・)
 マチュピチュ遺跡には、当時のインカの人々の信仰にかかわる場所や建造物が多くある。天を神の場所として、また地下を黄泉の場所として考え、その間には現世という地上があり自分たちが暮らす場所という世界観。天の中心となるのが太陽である。太陽信仰は中南米から南米アンデスに至る広大な地域に存在する。ここマチュピチュで太陽信仰を伝える代表的は建造物が、このインティワナである。
 インティワナには、手をかざすだけで癒されるという不思議な力が宿っているという。これも太陽の力なのか。もちろん両手を一杯に伸ばして、ロープの外から手のひらをかざした。ぼんやりと暖かさを感じたが、その暖かさが岩が吸収した熱なのか、癒しの力なのかは考えないほうがマチュピチュを深く感じることができる。

マチュピチュに行ってみた(#1)

a panorama of Machupicchuマチュピチュの全景

 奥の山を越えて行けば、ジャングルが始まり、いずれアマゾンへとつながる。乾季が終わる9月は、日差しこそ強いものの、重さを感じる水蒸気の塊が山の上に覆いかぶさっている。ここはマチュピチュ。海抜約2490メートルのアンデスとジャングルの境界にあり、ケチュア語で「古い峰」と呼ばれるインカ時代の遺跡である。

 いまでも建築時代の背景やその目的については明らかではない。その名は、この遺跡を考古学上の見地から初めて発表したエール大学のハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)が1911年現地の人から教えてもらったという名称が遺跡の名になっている。
 ハイラム・ビンガムが発表するより以前、1902年にクスコのアグスティン・リサラーガ(Agustin Lizarraga)がこの遺跡に到達しており、さらにその存在は16世紀の古文書に記されていたという。

急峻な崖にある段々畑の下を流れるウルバンバ川急峻な崖にある段々畑の下を流れるウルバンバ川
 
  遺跡は農地と市街地、宗教施設によって形作られ、いまでも急峻な斜面には石組みされた段々畑が残っている。この地に街を作った目的は、ジャングルとの交易(主にコカや鳥の羽など)の中心地であり、帝都クスコへの中間拠点であったという説がある。しかしウルバンバ川を見下ろす急峻な山上に立つと、当時のハイウェイである”インカ道”によって北方の各都市と帝都クスコを結ぶ中間地点として、交易の拠点でありながらも、軍事上のまたは防衛上の拠点やインカ帝国支配の前線と考えたほうが受け入れやすく感じられる。

遺跡の中の通路は狭く、物を手にしては通りにくいインカ・ステップ : 石垣に埋め込まれ、突き出た石の階段。片足ずつしか足をおけない。
 
 遺跡内の通路は狭く、上下左右へと折れ曲がり、とてもわかりにくい。”インカ・ステップ”と呼ばれる石垣に埋め込まれ突き出た石の階段や狭く急な階段状の通路は、物を手にしては通りにくいうえ、多人数が同時に攻め込みにくい作りになっている。実際にインカ・ステップを上り下りしてみると、片足ずつしかおけないことがわかる。山頂近くの土地は狭く、そういった構造とならざるを得ないのかもしれないが、都市防衛の狙いを感じる。
 アンデス一帯を支配したインカ帝国も、ジャングルにまではその支配が及ばず、しばしばジャングルの住民とは争いがあったと言われる。マチュピチュは、その防衛的な構造と立地から、都市間交通や交易、防衛に配慮した当時の最新都市建築ではなかったのだろうか。

 

Peru Rail

クスコ サンペドロ駅 5:30AMクスコ サンペドロ駅 5:30AM

 マチュピチュへのアクセスは、列車での移動が一般的な移動方法である。クスコのアルマス広場の南西にあるサンペドロの駅舎は、早朝にもかかわらず、混雑している。この時間の列車は観光客向けの列車だけであり、ここにいる大多数は観光客か物売りのどちらかである。しかし一歩改札を抜けると、プラットホームはとても静かで落ち着く。
 ここからマチュピチュのある街アグアス・カリエンテスまでは列車で112Km、約3時間半の行程だ。標高2490mのマチュピチュから、途中3500m近くの山中を通って、2040mのアグアス・カリエンテスに向かう。アグアス・カリエンテスに着けば、呼吸も楽になり、高山病の心配もなくなるだろう。

 マチュピチュからの帰りは、アグアス・カリエンテスの温泉に寄って行くのも良い。まるでプールのような温泉に浸かり、歩きつかれた足を休めるには良い。もちろん風呂上りは、インカコーラだ。復路の車中では、楽しいショーが待っている。

クスコに来た

アンデスを越えてアンデスを越えて

 インカの中心地クスコまでは、ペルーの首都リマから飛行機で約1時間。早朝のランペルー航空のエアバス319には、ほとんど乗客はいない。スナックとともにサーブされる黄色いインカコーラの甘さが口の中にまとわりつく。ランペルーのエアバスは高度約7000mを飛んでいる。手が届きそうなところに白い峰がいくつも見える。ときおり小さな集落が見える。集落からは道とも思えない一筋の線が延び、山の向こうへ消えていく。アンデスを見下ろしながらの1時間は短い。徐々に高度を下げるにしたがって、乾いた土色の壁の家々が間近に見える。
 
着陸直前着陸直前

 かつての帝国の中心らしく、家並みは整然とした印象だ。機内では撮影禁止を知らせるアナウンスがスペイン語と英語で流れる。着陸したランペルーの機体からタラップを降りた直後から、息苦しく少し頭が痛い。

 「やっと着いた」

 これがクスコ到着の感想だった。
 
クスコ アルマス広場クスコ アルマス広場のラ・コンパーニア・デ・ヘスス教会

 クスコの人口は約30万人。標高は約3600m。四方を山に囲まれたインカ時代の帝都だ。

 街の中心となるアルマス広場に面して、ラ・コンパーニア・デ・ヘスス教会がある。この教会は第11代インカ皇帝のワイナ・カパックの宮殿のあった場所に建てられた。ここと同様にアルマス広場に面したカテドラルは、インカ時代のビラコチャ神殿の上に建つ。インカの建築技術は高度で、建物だけを破壊し、その土台を利用して教会やカテドラルが建築されている。さらに神殿などから奪われた銀を溶かして作られた祭壇は見事なつくりであるものの、クスコの人々がスペイン人を今も嫌うことに繋がっている。

 
コリカンチャの土台コリカンチャの土台

 コリカンチャ、Qorikancha ~ Qoriとは黄金を、Kanchaは居どころを表す。コリカンチャは太陽の神殿と呼ばれ、その壁には幅20cmもの黄金の帯が巻かれていた。 これを見たスペイン人たちは、神殿内のすべての黄金を持ち去り、溶かし、本国へ送った。あまりに大量の金がヨーロッパに流れ込んだことで、インフレになったという。さらにスペイン人たちは、コリカンチャの上部を破壊し、土台の石組みだけを残しそこにカトリック教会を建てた。

黄金がなくなった今も、曲線を描く神殿の石組みは見事というばかりである。現在は教会内部で発掘を行い、コリンカンチャの復元を進めている。

スズメは賢いか(続)

 先日、北の丸公園で遭遇したスズメについて書いた。しかし毎日見かけるスズメについて、あまりに「薄識」であることを反省、すこしだけ勉強したおり、興味深い内容についてだけを以下に記録した。

いわゆる”スズメ”

 通常日本の街中で見かける”スズメ”は、”TreeSpallow”といわれるスズメ。日本にはそのほかに”ニュウナイスズメ”と呼ばれる種が主に標高の高い山林に生息。
 世界では14ないし15種が確認されている。また最近ではヨーロッパに多く繁殖するイエスズメが北海道北部などで観測されており、ユーラシア大陸を東進して日本に渡った可能性があると考えられている。

 ここではいわゆる”スズメ”について書くことにする。
 スズメは、スズメ目ハタオリドリ科の留鳥または漂鳥で人家周辺、農耕地、河原などに生息。体長14cm体重24g程度。野生環境での寿命は3?4年程度、飼育環境では10年を超える個体もある。

雌雄の区別

 カモなど多くの鳥は羽模様などで雌雄を比較的簡単に見分けられる。しかしスズメの雌雄には外見上の違いがなく、交尾のときを除けばオスメスの区別はつけにくい。しかし卵を温める抱卵期はすこし違うようだ。スズメはオスメス共に抱卵するようだが、抱卵している時間はオスよりもメスのほうが長いという観察記録がある。抱卵している時期のメスにはお腹の羽毛がなくなり、肌がむき出しになる。このむき出しの部分を”抱卵斑”といい、親の体温を直接卵に伝えて温めるためらしい。

抱卵

 スズメのメスは繁殖期に5?6個の卵を、毎朝早朝に一日一個産む。最後に産まれる卵を「止め卵」と呼ぶ。この止め卵はほかの卵に比べて、その色が白かったり、斑点が大きかったり、まだらであったりする。スズメはこの止め卵を産むと抱卵をはじめる。つまり止め卵を産むまでは、先に産んだ卵は”産みっぱなし”のようだ。

水浴び・砂浴び・アリ浴び

 水浴びや砂浴びをする鳥は公園などで見かける。通常鳥は季節に関係なく、体の汚れを落とし、外部寄生虫を払うために水浴びまたは砂浴びをする。スズメは季節によって水浴びと砂浴びを使い分けるといわれ、ここでもスズメの”賢さ”が表れる。さらにスズメは他の鳥類と同様に”アリ浴び”をすることがある。アリ浴びは、アリの巣穴やアリ塚にうずくまり、アリを自分の体に上らせたり、自分の嘴でありを羽根の間に押し込んだりする。これによりアリがもつ殺菌効果のある”蟻酸”の効果によってダニやハジラミといった外部寄生虫を駆除していると考えられている。
 話が横道に外れるが、こうした”××浴び”は鳥たちにとって衛生状態を保つという目的のほかに、心の昂ぶりを鎮めリラックスする効果もあるのではないかとみられている。鳥が激しい諍いを他の鳥と行った後、羽繕いをしている姿を見かける。これは諍いによる昂ぶりを鎮めるために行っているといわれているようだ。

縄張りと群れ

 スズメにも小さいながら縄張りがある。スズメは営巣するエリアを縄張りとし、ほかの餌を捕食するためのエリアを縄張りとする生き物に比べて、縄張りは極めて狭い範囲で限られている。したがって、巣が隣接するようなことも見受けられる。
 一方、田んぼや街中の街路樹などにスズメの群れを見かけるが、これはその年に生まれた、まだ縄張りをもたない若鳥の群れである。わたしの推測であるが、若鳥は繁殖期になり、産卵・抱卵するために営巣する必要が発生するまで群れで暮らすのではないかと思う。

参考サイトおよび図書
続きを読む

スズメは賢いか?

スズメ登場 暖冬の昼、北の丸公園で弁当を食べる。平日でもあり、ベンチやテーブルには空きが目立ち、場所探しの苦労はない。陽のあたる木立の中にある、丸い石づくりのテーブルに陣取って弁当を広げる。鯖の味噌煮がウマイ。

 しばらくすると、人から食べ物をもらうことに慣れたスズメが一羽寄ってきた。一羽が寄ってくると、次から次へと地面を跳ねながらやってきた。特に慣れている様子の一羽が石のテーブルの上に載ってきた。

 最初のスズメは、私が弁当箱のふたの上に置いた鯖の骨を突付いた。すかさず私も追い払う。次はどうするのだろうと見ていると、テーブルの左からやってきて、私の弁当箱から飯粒を奪おうと狙っているようだ。これまたすばやく追い払う。この間も私は数枚の写真を撮っているのだが、スズメは一向に気にしていない様子だ。しまいにはテーブルの上に置いた私のデイバックの上に上がり、テーブル全体を見回し始めた。それでも私が黙々と弁当を食べ、時折彼らの写真を撮っていると、諦めたように皆去っていった。しかし...

スズメ登場スズメ、再度登場

 やはりある程度食べ物をもらえない時間が経過し、それでも人間がそのそぶりを見せないとスズメは去っていく。学習しているのだろう。

 弁当も食べ終わり、お茶を飲みながら弁当箱をしまっているとき、足元にスズメがいることに気がついた。ほとんどのスズメが去って行った後も、足元のスズメはそこに残り、ついには私がこぼした弁当のおかずを啄ばんでいる。もしかしたらこのスズメは、人間が足元に食べ物を落とし、さらには食事のあいだは自分の足元に気が回らないことを学習しているのだろうか。おもむろに顔を足元へ向けるとスズメは少しばかり離れる。しかし顔を背けるとたちまち足元に寄ってくるのだ。繰り返しても同じである。この、なかなか賢いスズメに敬意を表して足元に落ちたおかずは放っておくことにした。写真のモデル代である。
足元のスズメ
 結論 : スズメは賢い!

三角形の骨

三角形の骨

 ハワイアンの習俗や歴史について勉強するためにビショップ博物館などに行った。その折、知人に会うために出かけた、ハワイカイの環礁内で採取した骨がこの写真。

 形状はほぼ三角形で一辺が4cm程度。写真の手前側には、ほかの骨との接合部と思われる突起部分がある。採取当初は亀類の骨の一部のようにも思ったが、該当する骨もなく、現在調査確認中。 
続きを読む

サメの椎体

サメ類椎骨 shark vertebra

 写真の”ホネらしき”は、神奈川県鎌倉材木座海岸で採取したものです。(漂着物学会の会員らしい活動もしています)
 左下の一点は2007年に、ほか二点は2005年に同じ海岸のほぼ同じ場所で採取したもので、”ホネらしき”はサメ類の椎体でした。(サメの種類までは不明のままです)

 今回調べ物をするにあたり、アドバイスいただきました平塚市立博物館長の浜口さんに感謝!ありがとうございました。

サメのなかみはふにゃふにゃ

 そもそも博物館などで見かけるサメは、化石や剥製ばかりで、骨格標本になっている姿を見たことがない。なぜだろう??
 考えてみれば、コトは極めてシンプルだった。魚類は大きく分けて、硬骨魚類と軟骨魚類に分けられる。魚類全体では約97%が硬骨魚類といわれている。残り3%の軟骨魚類にサメやエイが分類されている。つまり硬骨魚類であれば骨格標本を作ることができるが、軟骨は腐ってしまうために全身が軟骨で形成されているサメの骨格標本は、石灰化したアゴと歯だけが残るだけなのだ。あちこちでサメの骨格標本や骨格図を求めても、なかなか見つからないわけだ。ちなみに軟骨とはいえ、サメにも背骨はある。この背骨も包丁でサクッっと切れてしまうらしい。

これはどこのホネ?

 写真のホネはサメの背骨の”芯”にあたる部分だ。軟骨なら腐食してしまうため残らない。サメの背骨は軟骨でできているものの、サメの背骨の中心部分、つまり椎体は鉱物質で硬く、これが写真のように残るのだという。この椎体が円の部分を接するように連結して”背骨”を形成しているのだ。

余談

 サメの背ビレや尾ビレも”背骨”とつながっている。しかし、そのつながりも軟骨でできており、ヒレは繊維状の組織で形を保っている。フカヒレには骨がなく、”歯ごたえのある寒天”といった食感だが、これは地道にフカヒレの骨を取り除いているのではなく、最初から骨がないのだ。

(注)この記事はずいぶんと端折って、理解しやすく書くことを優先しました。学術的に正しく詳細に理解される場合には、本記事だけでは十分とはいえません。
続きを読む