アイヌ、いまに生きる

 西浦 宏己(著)
アイヌ、いまに生きる
 1986年だったと思う。当時の中曽根首相は「日本は単一民族国家」発言をした。当時25、6歳でサラリーマンだった私は、「お金を稼いで裕福になりたい」とか「周りの人に良く見られたい」などと考えていた。この発言を「アメリカは多民族国家だからまとまりがなく、国内問題を解決できない駄目な国なのだ」というメッセージと受け止めた。アメリカ覇権主義の嫌いだった私には「我が意を得たり」と思えるメッセージであった。

 それから20年余り。この中曽根首相のメッセージは忘れていた。さまざまな国や人と出会った経験を通じて、日本人はアジアやシベリア、ポリネシアなどの人々と遺伝的文化的関係の深い民族であることをぼんやり感じながら、一方でハワイアンのポリネシア回帰やアメリカ先住民の活動やアメリカの中にある独立宣言国「イロコイ連邦」のことなど羨ましいと感じていた。日本人は日本の島々において、いきなり涌いて出てきたわけではないと感じつつ。そんなときに出会ったのが、本著であった。

 いま身近では、北朝鮮問題やサッカーワールドカップなどで在日朝鮮人の人たちが注目を浴びている。しかして、このクローズアップの仕方は正しいのだろうか。彼らは好むと好まざるとに関わらず、既に何十年も日本に暮らし、多くの家族を形成し、この地において”ネイティブ”ではないけれど、”ローカル”として暮らしている。わが身を振り返り、私は日本の”ネイティブ”なのだろうか?先史モンゴロイドのDNAがカラダに溢れていることは間違いないと思うものの、また日本の”ローカル”であることは間違いないと思うものの、果たして”ネイティブ”なのであろうか。
 本著を読んで、再び中曽根元首相の言葉を思い起こした。北海道アイヌや琉球の人々の言葉や文化などからも日本は単一民族でないことは明らかであり、そもそも日本は元々純粋な血族国家ではないと言う意味で、現在の私はこの発言に強い違和感を感じる。南方アジアから、シベリアからそれぞれの先史モンゴロイドが古に渡来し、またその二つのモンゴロイドの交わりによって生まれたであろう日本人は決して単一民族ではないだろう。つまり、私は「日本ローカル」であると名乗れても、「日本ネイティブ」または「先史日本人」、「日本先住民」とは名乗れない。多くの日本人は私と同じだろう。あとは「ここから先は日本人だ」とばかりに、時期の違いだけなのだ。そう考えたとき、つい20年余り前のときの首相がまったく無知な発言をしていることに驚きを感じるとともに、私が育った70年代80年代は間違っても近代などと呼べる時代ではなかったのだと痛切に感じた。一方、そんな時代にあってもアイヌの人々は差別に悩みながら働き、食べ、暮らしている。単純にいじめの問題との区別もわからないままに、「差別はいけないことです」と教えるよりも、アイヌや琉球人のことを正しく伝えることのほうが、今の世の中には必要なのだと強く感じさせられた一冊だ。

 ※本著を「日本人や日本のこと」というカテゴリーに入れることに抵抗感があったが、このカテゴリーは元々、「自分はどこから来たのか?」ということに焦点を当てたカテゴリーのため、敢えてここに配した。


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