ハワイが教えてくれたこと。

ハワイが教えてくれたこと。あなたの人生がぐっと快適になる70の言葉

 本田 直之(著) 

 ALOHA!
 世界中で一番知られているハワイの言葉といえば、間違いなく「ALOHA」だろう。

 この言葉は、「愛、慈しみ、感謝、平静、共感」などの意味を持つハワイ語。コミュニケーションで使われる場合は、「おはよう、こんにちは、さようなら、ありがとう、I Love You」など色々な挨拶・感情表現に使われる。もっとも知られている用法は「こんにちは」や「いらっしゃい」といった用法だろうか。まさに万能薬のような言葉だ。
 いや待てよ、これほど万能な言葉であれば、言葉に備わる概念はとても広く深いはずだ。むしろ難解な言葉なのか。

 * いい感じの写真はムンカタケンさん! 
 * 構成は「旅旅ハワイ、日々カウアイ」の著者 今井栄一さん!

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母~オモニ

 姜 尚中 (著)

 誰にとっても、母はほかの人と違う存在であり、子供の心の中で母が占める割合は非常に大きい。息子からみても娘からみても、そのことはさほど変わらないのだろう。決して父親が特別な存在ではないという気は更々ないが、その父親でさえ自らの母親に対してはほかの人と違う存在であることは感じているはずだ。

 私自身も決してほかの人と変わるところなく、私にとっての母は特別な存在である。そうすることが当たり前であるかのように子供を想い、慈しむ母親である。そうした普段の母が時折見せる表情や言葉からは、子供には語らない母の人生が見える。学生時代の母、父との結婚前の母、貧しい暮らしをさせた母。母は何かを伝えたかったのだろうか。それとも自分に聞かせるためだけの独り言だったのだろうか。

 私自身の話は面白くもなく、世間様に言えないことばかりである。ゆえに文字を費やすことをしないが、本書は行を進めるうちに自らも母に会いたくなる。そうした一冊である。


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普通の住宅、普通の別荘

中村好文 普通の住宅、普通の別荘

  中村 好文 (著)

 ひさしぶりの読書記録。最近ではずいぶんとあちこち衰えてきた。視力や思考力に始まり、記憶力や継続して物事に取り組む気力、果ては人の話を聞き取る聴力までが低下していることに、”あぁ、これが老いなんだな”と実感する。気持ちのありようだと言われる向きもあろうが、そんなことは個人差があるのだから、私の個性の一部だと思って、放っておいてもらいたい。

 前段のように我儘を言い出したら、相手も手に負えないだろうし、私自身も面倒に思うことが増えてくる。何事においても複雑になりがちな都会の暮らしや会社員生活にひと区切りを考え始めた頃、雑誌の建築特集で建築家の吉村順三氏の作品でもある、彼の別荘を拝見した。そのグラビア写真は、かねてよりモダニズムに偏り始めていた私の住宅志向に、さらに森暮らしに憧れる心に火をつけた。私の森暮らしに対する憧憬は筋金入りである。なにせ、私の母親は就学したばかりの私に、”アンタみたいな人間は山で一人暮らしをすればいい”と、繰り返し言い放つほどだ。

 森暮らし願望に再び火が付いた私は、自分の居場所、自分に必要な家となるお手本を探し始めた。自分の居場所に求めることは、斬新でも、独創的でも、先進的でもない、平凡で簡素な居心地が良い家がほしい。心からそう思った。そうしているうちに、建築家の中村好文氏の名前を知ったのである。中村氏の手がけた家や小屋(HUT)は、自身が表するように、まさに”普通”(Enkelであり、Patina)である。

 本書には七つの住宅と七つの別荘、そして一つの美術館が紹介されている。そのどれもがシンプルであると同時に個性的である。住まう人と一体となって静かな主張をしているように感じられる。私が求めているのはHouseではなくHomeである。Homeには小さくても穏やかな豊かさと温もりがあってほしい。本書の中にはそのHomeがあった。


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なぜ、エグゼクティブはゴルフをするのか?

なぜ、エグゼクティブはゴルフをするのか?

 パコ・ムーロ (著)

 なぜだろう?
 どうして企業経営者の多くはゴルフをやるんだろう。

 接待で仕事のためにゴルフをする人もいないこともなかろうが、私は自分の経験からみて仕事上の付き合いのためだけにゴルフをする人はごく一部と思う。多くの人はのんびりしたい、ストレス発散、植物の中に身を置く、練習した分だけ成果が見えるなど、いろんな動機の組み合わせでゴルフを楽しんでいると思う。私の場合はのんびりできる開放感と練習の成果を実感する達成感がゴルフをする動機だ。友人との気の置けないラウンドはなおさら愉しい。スポーツとしてのゴルフは楽しい。スコアが良くなって、バンカーや池が気にならなくなれば、なおさら楽しい。
 バブル経済の頃はプレイフィーが高かったことも手伝って、ゴルフは社用族などと呼ばれる人たちが接待など会社のお金でやる娯楽で案外鼻持ちならないイメージもあった。経営者たちも同じなのか?

 自分がゴルフをやってみて、プロセスが仕事やビジネス、人生に通じることがゴルフが好かれる第一の要因だと感じる。つまり、経験や知識、考えたことが結果に繋がり、さらに偶然が結果を左右するということだ。たとえ同じ環境下条件下であっても、それらが異なれば、一緒にプレイする人のあいだで結果(スコアとその質)は明確に異なる。

 目指すゴールを設定し、そこに向かってプランを立てて実行していく。ゴルフも何打でラウンドするか、そのためにはグリーンのどこにボールを乗せるか、その前の一打は?さらにその前は・・・?自分の技量では・・・? そうした思考の末に第一打を打つ。そうした計画があっても実行するスキルと風などの状況変化への対応が求められる。

 プラン通りに実行できなかったときは、ただちに失敗の修正やプランの見直しが必要になる。そして「すべてのステップが正しく実行されれば、最後にはありがたい結果が得られる」と著者は書いている。

 仕事もビジネス環境も、ましてや立場も違う遠いスペインのビジネスマンが同じ印象を抱くなら、仕事とゴルフができる国のビジネスマンにとってはひとつの真理なのだろう。もちろんゴルフやゴルフ場が嫌いでない限り。

 本書では、こうしたビジネスや人生の真理を13の話として紹介している。


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沈黙入門

沈黙入門 (幻冬舎文庫)

 小池 龍之介(著)

 通勤途中の駅、昼ごはんを食べに行ったレストラン、会社帰りの街中・・・・すれ違う人は十人十色。本当に世の中には面白い人、一風変わった人、目を奪われる人が多くて驚かされる。人だけじゃない。’えっ!?’と思うことに出くわす事が多い。
 そうしたとき、私は驚かされるだけでなく、大抵独り言を呟いてしまう癖がある。目にした人の特徴であったり、出来事そのものに対する「一言総括」にようなもので、往々にして’余計な一言’ということになる。
 ’余計な一言’とは「その場の状況に関係なく、言わなくてもいいこと」であり、もっと端的に言えば「口にする必要のない言葉」だ。

 そこまでわかっているのになぜそんなことを口走ってしまうのか。

 自意識に関わる欲望が自分病なっているという。つまり無意識のうちに自分は特別な人間だと思い込み、その特別な自分が語るのだから自分の話は当然有意義であったり、面白い話であると思い込んでいるのだという。
 実際の生活では、皆が同じように挫折をしたり、悔しい思いをしたりしながら暮らしている。そうした現実をごまかすために、「かけがえのない自分」やら「自分の個性を生かそう」と思い込みたい気持ちが無意識に働いている。この無意識の気持ちが、会話や思考のなかの「自分濃度」を高め、どこへ行っても一言コメントをしてしまう(ケチをつけてしまう)のだと、僧侶である著者は言っている。
 途中、主張の辻褄が怪しく感じられる点もあるが、それは読み手が至らないのだと言い聞かせて、読みきってみると、いくつも参考になる言葉や考えがあることに気づく。
 「意見のあるところには欲がある」、「ありふれた正論を得意げに話す」、「批判の裏には自慢が隠れている」、「悪口を言うと毒が体に回る」、「あいつはダメ = 自分はステキ」など、自分の下品さを見直すきっかけが平易に書かれている。

 私の場合、独り言の癖はいっこうに直らないが、「自分濃度」を感じたときには「沈黙沈黙」と2回ほど唱えることにしている。

 付き合いのある人との会話に疲れ気味の人や物腰を上品にしたい人にちょうど良い感じです。私のような毒舌家は、偶然の出会いでもなければ、この本は手にしないでしょうからオススメしません。(コレが余計な一言だって!)


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